はじめに
今回は、トレセンティテクノロジース株式会社の歴史や特徴についてしらべてみました。
この内容はYoutubeでも公開しておりま。ぜひご覧ください!
また、この動画内での誤った情報の訂正や追加情報などは、この記事の末尾に記載しております。
トレセンティテクノロジーズの特徴
トレセンティテクノロジーズの特徴を説明する上でのキーワードは、「枚葉式」と「サイクルタイム」の二つです。
半導体を製造する工程では、ウェーハをどの規模で処理するかによって2種類の方式に大きく分けられます。複数枚のウェーハを同時に処理するバッチ式と、ウェーハを1枚ずつ処理する枚葉式です。
半導体の製造工程では、工程の特性に合わせてバッチ式の処理装置と枚葉式の処理装置を使い分けるのが一般的とされています。その一方で、トレセンティでは、半導体を作るうえでの全ての工程を枚葉式の処理装置で行うことにしたのです。
バッチ式の処理装置では、十数枚から百枚程度のウェーハを一括で処理するため、それらの数のウェーハが揃うまで処理開始を待つ必要があります。このため、バッチ式と枚葉式が混在する一般的な製造プロセスでは、枚葉式で処理したウェーハをある程度集めるための待ち時間が長くなり、製品を作るための時間「サイクルタイム」が長くなるという特性があります。
その一方で、トレセンティが提案した全工程枚葉式では、バッチ式装置での待ち時間が不要となるため、その分のサイクルタイムが短縮できます。
加えて、半導体ウェーハ製造の1セットであるロットの枚数を通常の25枚ではなく13枚にすることで、さらにサイクルタイムが短縮できます。
このサイクルタイムの短縮によって、製造上の問題などをすぐにフィードバックでき、良品率・歩留まりを素早く向上させることができる、というのがトレセンティの狙いでした。
この他にもトレセンティでは、小規模から徐々に設備投資して投資リスクを抑えたり、製造装置のシングルチャンバー化、工程間の高速自動搬送方式の採用、ウェーハの汚染を低減する局所クリーン方式の採用など、当時としては画期的な数々の技術を積極的に導入していました。
トレセンティは、300mmウェーハで月産7000枚の生産能力を有していました。その内50%ずつの生産キャパシティを日立とUMCがそれぞれ分け合うこととしました。日立は主に自社の最先端品を生産し、UMCはファウンドリとして外部顧客からの製造受託分をこれに割り当てました。
【出典】
小池淳義「世界最新半導体工場一小技資規模・低投資リスクおよびサイクルタイム短縮を目指して」, 日立評論, Vol.82, 2010-10|リンク
小池 淳義 (著)「人工知能が人間を超える シンギュラリティの衝撃」, PHP研究所 (2017)|リンク
トレセンティテクノロジーズの沿革
【設立時の概要】
会社名 | トレセンティテクノロジーズ株式会社 (Trecenti Technologies, Inc.) |
本社所在地 | 茨城県ひたちなか市堀口751番地(現 日立LSI製造本部 N3棟内) |
設立年月日 | 2000年 (平成12年) 3月15日 |
資本金 | 設立時25億円、平成12年末までに300億円へ増資予定 |
出資比率 | 日立 60%、UMC 40% |
生産計画 : | 2001年1月 : 試作開始予定 2001年4月 : 量産開始予定 |
初期投資 | 約700億円(300mmウェーハ 7,000枚/月対応) |
「トレセンティテクノロジーズ株式会社」設立
2000年3月21日
株式会社日立製作所と台湾のUMC(United Microelectronics Corporation)の2社が、300 mmウェーハ対応の半導体製造合弁会社「トレセンティテクノロジーズ株式会社」を設立しました。日立とUMCの持ち分はそれぞれ、日立が60%、UMCが40%でした。
トレセンティの拠点は、出資した日立の既存工場建屋(日立LSI製造本部N3棟)の中に置かれました。
「トレセンティ」は、ラテン語で「300」を意味する「Trecenti」に由来しています。ここでいう300とは、半導体の基板材料であるシリコンウェーハの直径を意味します。2000年当時は、当時の主流だった直径200mmのシリコンウェーハから、生産性向上のため直径300mmのウェーハで半導体を製造しようという転換点の時期でした。そのような時代の中で、300を冠したトレセンティテクノロジーズは、世界初の300mmウェーハによる半導体の量産化を目指していました。
設立当初の計画では、既存建屋の改装を行った後に、2000年8月に製造装置の搬入を開始し、翌年2001年1月に試作開始、同年4月からの量産開始を予定していました。
そんな中、実際に量産が始まったのは、2001年3月でした。当時のファウンドリのシェア1位のTSMCや2位のUMCを差し置いて、世界で初めて、300mmウェーハを使用した半導体の量産を行ったファウンドリ企業となりました。ただし、試作ベースでは、TSMCやUMCの方が先行して進めていました。
【出典】
https://www.hitachi.co.jp/New/cnews/0003/0321b.html
https://xtech.nikkei.com/dm/article/NEWS/20070409/130395/
https://xtech.nikkei.com/dm/article/NEWS/20070409/130395/
https://www.hitachi.co.jp/New/cnews/2002/0625b/
https://pr.tsmc.com/japanese/news/2373
https://pr.tsmc.com/japanese/news/1205
https://www.umc.com/en/Html/fab_information
FPGA大手のXILINXから製造受託
2001年2月、アメリカのFPGAチップ大手であったXILINX(ザイリンクス)から、UMCを経由して製造受託を受けました。
日立の半導体事業再編
2001年 10月
量産を開始して約半年後、半導体市場全体を不況が襲いました。これにより日立は業績が悪化し、業績改善のための緊急経営施策を講ずることになりました。この一環で実施されたのが、半導体事業の再編です。
この再編の中で、当時の主力製品だったF-ZTATマイコンの生産に注力し、収益の拡大を図りました。トレセンティでは、これを含む日立の主力製品が2001年10月から順次投入されることとなりました。
【出典】
HITACHI : News Release : 10/19
日立とUMCが300mm製造会社合弁契約を解消トレセンティテクノロジーズは日立100%子会社として運営
2002年2月19日
その後、2002年、半導体市場の不況がさらに深刻になりつつありました。そんな中、日立がUMC保有のトレセンティ株40%全てを購入し、トレセンティは日立の100%子会社となりました。
トレセンティテクノロジーズ新社長に小池淳義が就任
2002年6月25日
2002年6月、取締役社長に小池淳義氏が新たに就任しました。小池新社長は1978年に日立製作所に入社し、1999年には半導体グループ 生産統括本部 生産技術本部 本部長に就任していました。トレセンティには2000年の設立時から取締役として参画し、全工程枚葉式などの画期的な生産アイデアの導入を主導しました。
小池氏の経歴
1978年:早稲田大学大学院理工学研究科修了
同年 :日立製作所 入社。半導体の技術開発に従事
1999年:半導体グループ 生産統括本部 生産技術本部 本部長
2000年:トレセンティテクノロジーズ 取締役
2002年6月:トレセンティテクノロジーズ 社長就任
2002年9月:東北大学大学院工学部電子工学科にて工学博士号取得。博士論文題「多品種、少量、超短時間半導体生産方式の研究」
ルネサステクノロジに吸収合併
2005年 3月
2003年、日立製作所と三菱電機は、両者のシステムLSI事業部を分社化して統合し、ルネサステクノロジを発足させました。トレセンティは、2003年にルネサステクノロジが設立されたタイミングで同社の100%子会社という位置づけになりました。その後の2005年、トレセンティテクノロジーズはルネサステクノロジに吸収合併され、企業としては消滅することとなりました。
ルネサステクノロジはその後、2010年にNECエレクトロニクスと経営統合して、ルネサスエレクトロニクスとして生まれ変わりました。トレセンティテクノロジーズの工場は、現在、ルネサスエレクトロニクスの那珂工場として運営されています。
【出典】
https://xtech.nikkei.com/dm/article/NEWS/20041222/161/
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